今日は4日勤の最終日だった。
体力的には別に問題ない、休みも月9日あるし。
前の職場と比べたら、そういう意味では楽だ。
しかし、今日は特別な日だ。
うまく言い表せないが、色々と考えさせられた日だった。
昨日(日曜)
とある入居者さんが熱発していた。看取りの人だ。
土日になると仕切り屋に変貌するオババ職員から
「カロナールを服用させて」と指示が来た。
バイタル測定するもエラーが2回、3回目で測定できたが、如何せん低い。
呼吸は一定のリズムだが浅い、声掛けしても反応がない。
カロナール云々ではないだろう。
オババに伝え、ナースに連絡してもらった。
「今日かもね」とのこと。
その後もやるべき仕事をこなし、家路についた。
今日(月曜)
ワシの半月後に入社した、仲の良い職員さんが早番だ。
昨日の件が気になる、何とも気になる。
まだ大丈夫だった。
通常通り仕事開始、最初の仕事を終えて事務所に戻る。
明けの職員さんが「○○さんの呼吸が変なの…」
最期の数分間
施設長と、ワシを含む3人の職員で居室へ。
来るべき時が来たようだが、呼吸が止まったか判然としない。
顔にティッシュをかけてみた、凝視するが動かない。
施設長がケアマネに伝えに行った。
その直後、フッと呼吸が戻った。
施設長達に伝えに行っている間に、もう1回呼吸したらしい。
5人で見守る中、また呼吸をし、それきりになった。
きっと召されたのだろう、しかし、仕事に行かねばならない。
「仕事してくるよ」と伝えて居室を出た。
最期の瞬間に立ち会う、ということ
家族や親戚の最期の瞬間に立ち会ったことがない。
高校を卒業して家を出る日、親父さんは言っていた。
「離れて暮らすということは、誰の死に目にも会えないってことだよ」
その時は「餞の言葉にしてはエグイじゃないの」と思った。
でも、事実そうなのだ、何度も経験してよく分かった。
では、介護士になってからはどうだろう。
ない。亡くなっているのを発見したことはある。
息を引き取る間際までそばにいたことはある。
その時は、外出介助に行かねばならず、急いで戻ったが間に合わなかった。
今日は立ち会えた。
命懸けで経験させてもらったのだ。
しかも、とても穏やかな最期を。
あれこれ書くつもりだったが、やめた。
しっくりこない気がするんだよね。
とにかく、寂しい中にも、何か大切なことを得たような気がしたのさ。
気を付けて彼岸へ行くんだよ。
実り多い3ヶ月をありがとう。
缶コーヒーを飲みながら、献杯の気分で。